sabu18’s blog

我が子を諦めて心の整理をするためのブログ

胎児ドックとNIPT検査の検査結果まで

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
++++++++++++++++++++++

コロナの隔離期間が明けてからはすべてが早すぎた。

 

2022/6/13

妊婦検診1回目 妊娠12w0d

順調ですよ~と町の産科医に言われる。

サイズについて聞くも、週数相当ですから大丈夫ですよとのこと。

出生前診断を受けることを伝えると、不安ならそれも一つかと思います。で終了

私の本心としては安心したのもあるが、絶対に胎児に何かあるとなぜか思っていた。

でもここまで生きてくれていることもあり

我が子を信じていきたい気持ちもあり、心の中は混乱していた。

ただひとつ、エコーで動いている我が子は本当にかわいいと感じていた。

顔も性別も何も全然わからないのに、心から可愛かった。

 

6/14 12w1d

認可施設にて胎児ドッグ、出生前診断を受ける。

胎児エコーにて異常所見が複数個指摘される。

「気が付いたことはすべて伝えてもいいですか」と医師

「全部伝えてください」と返事をした。

大きな異常は以下の通り

 

・内反手(両手とも内反していた)

・臍帯ヘルニア

(本来なら11wにはすべての臓器が腹部にしまわれているところ肝臓が丸々出ている)

・臍帯動脈が1本しかない(本来なら2本)

 

「おそらく18トリソミー…かもしれません」とここで言われた。

肝臓がうまく仕舞われていたら、おそらく週数相当の大きさだったんだと思う。

出生前診断について遺伝カウンセリングを受け、採血をしてこの日は終わり。

「非確定診断ですから、まだわかりません。可能性の話ですから」と言われたが、

ここまで所見が出ててNIPTで陽性だったらほとんど確定じゃんかと思っていた。

でもここの先生たちには感謝している。

 

6/20

NIPTの結果をもらう。

18トリソミー陽性

予想通りだったけど、辛かった。

ここで陰性とか出てたら、じゃああの所見は何だったのか?

ほかに胎児に異常があるのか?とまた悩まなければならなかったし

はっきり出てよかったんじゃないかとおもう反面、苦しかった。

不思議なことに自分を責める気持ちはなかった。

染色体異常は確率の問題なので私も旦那さんも赤ちゃんも誰も悪くない。

自然の摂理でこうなったから、受け入れるしかないと思った。

でも多分その時はお腹にまだ我が子が居たからだと思う。

下腹部が少し痛くて、子宮が大きくなっているんだなと実感できていたし。

 

早いほうがいいということで次の日に絨毛検査をすることにした。

妊娠初期にコロナになった

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。

ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
++++++++++++++++++++++
 
妊娠10週に入った頃、つわりも辛く、精神的にも辛く、
入職一ヶ月で病棟看護師の仕事をやめてしまった。
入職したら妊娠してました。特に仕事ができるわけでもないパートのほぼ新人看護師。
出勤したと思ったらつわりが辛いので横にさせてください。
休ませてください。ちょこちょこ休憩室に行き、何かをつまんで食べている。
周りは優しかったが、勉強もままならず、そんな状態で自分が許せなかった。
よくある前残業も辛くて始業15分前に病棟にいる状態で、
周りはすでにバイタルに回ったり、点滴繋げてたり、
内服をチェックしていたりと業務を勧めていた。
そんななかで情報収集なんかできなかった。
患者さんの創部や排泄物の臭いもしんどかったので、一時的に入れない処置もあった。
 
これは流石にまずいと思い診断書が欲しくて、産院に行ったが
吐いてもない、食べられるものもある。
体重も減ってないので、吐き気止めで様子見してください」で、終わった。
母健連絡カード(母性健康管理指導事項連絡カード)の存在は知ってたが、
それを提案する気力もなく、薬をもらって、気持ち悪さに耐えながらすごすご帰った。
もう迷惑ばかりかけてるし辞めるしかないなと考えてた。
通勤してる時に優先席に座ったが、香水のきつい女性が隣に座り、気持ち悪いスイッチが入った。
吐けないのでただひたすら気持ち悪いのに耐えるしかなくて、
駅のベンチで一時間横になり、結局仕事には行けなかった。
 
正直子供が小さいこと、障害があるのではなかということ、
流産するのではないかということもすごく心配で不安で辛かった。
 
妊娠初期のつわりの時期、仕事を無理やりする必要なんかあったんだろうか。
栄養が取れているので働けますという医師の判断は間違っていた気がする。
あのとき、悪阻のひどい一ヶ月だけ休ませてくれれば、頑張りたかったのが本音だ。
 
ドイツで妊娠初期を過ごした妹はつわりがしんどいと伝えたら、
すぐに診断書が出て、休むことができていた。
辛さはそれぞれだと思うが、妹いわく
ねねのほうがつわりは辛かったと思う。
ねねもあたりまえに診断書がもらえると思ってた。」
これは日本とかの問題なのか、その医師の判断によるのかわからないが、
妊娠初期のしんどい時期、妊婦さんが辛いと思ったら診断書を出してほしいと思った。
 
パートを辞め、夫に喚き散らし、「子供を残してもう死にたい」と話してしまった。
さらに過呼吸にもなり、これはもう心療内科待ったなし、
行かなきゃと考えていたところに、コロナに罹患した。
スーパーと家にしかいなかったのに、一体どこで感染したのかも不明だった。
 
夫は陰性だったため、完全に家庭内隔離をしなくてはならなくなった。

妊活から妊娠反応陽性、不妊治療クリニック卒業まで

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
++++++++++++++++++++++
 
二年半の妊活の結果、体外受精3回目にしてやっと妊娠反応陽性となった。
家族に連絡したら、妹と母は喜んでくれた。
3回目の体外受精だったので、胎児ネームは「サブ」になった。
出産予定日は私の35歳の誕生日の2週間前。
 
高齢出産じゃないのかもしれない、よかった!サブ、頑張ろうね!と、ホッとした。
 
しかし6週の検診で胎芽のサイズが異様に小さいことを指摘された
女医さんがエコーを見ながら、「アレ…?ちょっと…小さめですね」と不穏そうな様子だった。
ハッキリは言われなかったが、胎芽に異常があるのかも、というのは分かった。
でもまだ分からないし…と思いながら待合室でいろいろ調べてた。
確かに週数よりもかなり小さい。
 
診察室に呼ばれて、女医さんには気がついたことは全て教えて下さい、
先生の見解でもいいので。と、お願いした。
いいんですか?と言う感じだったけど、
看護師免許持ってると伝えたら、あぁ、という感じだった。
 
 
「八割型流産すると思います。
卵黄嚢のサイズも胎児と同じぐらいで、そこから栄養が取れてないように見えます。
心拍も微弱です。
それでも、何もしてあげられることはないので2週間後に検診に来てください
それまでに生理が来るかもしれませんが、そうしたら連絡をください。」
 
女医さんがすごく気まずそうに言った。
何もできない。
流産を止めることはできないことは分かってたけど、
1週間後に心拍があるかぐらい見てくれてもいいじゃないかと思いつつ、
子供の生命力に賭けてみようと、ひとまず2週間後の検診に向けて過ごした。
 
 
8週の検診では心拍確認ができたら不妊治療のクリニックは卒業となる。
不安で仕方なかったが、それまでの間、
下腹部痛や不正出血などの流産の兆候は現れなかった。
 
八割型流産すると思います、と言われたので覚悟してたつもりだったけど、
悪阻がはじまり、すこし悪阻が良くなると赤ちゃんが死んだのではないかと怖かった
悪阻が赤ちゃんの発育とか生死に関係ないことはわかっていたけど
ホルモンバランスが崩れ、精神的に不安定にもなり、心身ともにボロボロになっていた。
夫とも距離を取りたいぐらいには気持ちは追い詰められていた。
気持ち悪さと戦いつつ、何を食べたいのかと何を食べたらいいのかも分からず、
泣いてパニック状態になる日もあった。
流産に常に怯えてたし、この小さな受精卵が無事に細胞分裂して胎児になってくれることを祈った。
不安で生きてることを確認するために7週のころに町の産科に駆け込んだ。
 
 
「あかちゃん、元気ですよ。心拍もしっかりしてますよ!
大きさも週数相当です。不妊治療のクリニックを卒業したらまた来てください。」
初めて赤ちゃんの心拍を聞かせてもらった。
ちゃんと動いていた。
帰りは安心して一人で泣きながら歩いて帰った。
あんまりにも怪しいので親友に電話して慰めてもらった。
 
でも、安心したのは心拍が確認できたから。
サイズは相変わらず小さかった。
内臓を作っている妊娠初期はあまり個人差は出ないと
認識していた私は生きているが、なにかあるのではないかとずっと考えていた。
それは夫も同じように疑っていた。
私の不安や考えを聞いて私よりも冷静に考えていたようだった。
「障害や母胎のリスクがあるなら今回は諦めるべきだ」と考えていたらしく、
胎児ネームで呼ぶことは一切しなかった(と、あとから教えてもらった)。
 
 
8週の不妊治療のクリニックでは男性医師が見てくれた。
気がついたことは全て教えて下さい、とお願いした。
「心拍はしっかりしてる。成長もちゃんとしてる。
ただすごく小さい。とても稀。サイズだけが気になる」
出生前診断については前から調べていたので、それを受けるつもりだと伝えた。
「あなたの場合は、非常に有用だと思います。良いと思います。早い段階で。」と、
はっきり言われた。
あーこれは、染色体異常だと断言はしないが、
先生もなにかあるとほぼ確信してるんだろうな…というのが伝わってきた。
 
「ただ、陰性と出たらほぼ100%陰性です。
だからそれ以上の検査や不安は無用ですから。
陽性が出たときにまた考えればいいと思います。
今は何もしてあげられません。
赤ちゃんはここまで頑張ってるから、今回は卒業となります。」
 
会計のときに初めて「ご卒業おめでとうございます。」と言われた。
医師からは、おめでとうございますと、言われた記憶はなかった。
 

出生前診断で陽性だったので諦めました

34歳既婚の女で、よーと言います。旦那さんは37歳。

 

不妊治療で妊娠したのですが、出生前診断にて

18トリソミー陽性となり夫婦で話し合い、諦めました。

様々な異常所見もあり、お腹の中でもいつまで生きられるか。

生まれたとしても医療的介入は避けられない。

私はそんなに強くないので、我が子を喪失することに対して

耐えられる自信がありませんでした。

人工死産をしてから日が浅く心の整理がつかない為、ブログに残すことにします。

 

 

31歳の時に結婚し32歳から妊活を開始。

半年は自己流のタイミング法にトライしたがすべて陰性。

その後人工授精も3回トライしてすべて陰性。

体外受精不妊治療クリニックに転院し、子宮腺筋症とポリープが見つかり手術。

その後3回の移植をしました。

 

わが子がやっと抱けると思いすごい嬉しかったのを覚えています。

心の整理のためのブログなので時系列などバラバラになるかもしれません。

 

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。

ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。