sabu18’s blog

我が子を諦めて心の整理をするためのブログ

妊活から妊娠反応陽性、不妊治療クリニック卒業まで

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
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二年半の妊活の結果、体外受精3回目にしてやっと妊娠反応陽性となった。
家族に連絡したら、妹と母は喜んでくれた。
3回目の体外受精だったので、胎児ネームは「サブ」になった。
出産予定日は私の35歳の誕生日の2週間前。
 
高齢出産じゃないのかもしれない、よかった!サブ、頑張ろうね!と、ホッとした。
 
しかし6週の検診で胎芽のサイズが異様に小さいことを指摘された
女医さんがエコーを見ながら、「アレ…?ちょっと…小さめですね」と不穏そうな様子だった。
ハッキリは言われなかったが、胎芽に異常があるのかも、というのは分かった。
でもまだ分からないし…と思いながら待合室でいろいろ調べてた。
確かに週数よりもかなり小さい。
 
診察室に呼ばれて、女医さんには気がついたことは全て教えて下さい、
先生の見解でもいいので。と、お願いした。
いいんですか?と言う感じだったけど、
看護師免許持ってると伝えたら、あぁ、という感じだった。
 
 
「八割型流産すると思います。
卵黄嚢のサイズも胎児と同じぐらいで、そこから栄養が取れてないように見えます。
心拍も微弱です。
それでも、何もしてあげられることはないので2週間後に検診に来てください
それまでに生理が来るかもしれませんが、そうしたら連絡をください。」
 
女医さんがすごく気まずそうに言った。
何もできない。
流産を止めることはできないことは分かってたけど、
1週間後に心拍があるかぐらい見てくれてもいいじゃないかと思いつつ、
子供の生命力に賭けてみようと、ひとまず2週間後の検診に向けて過ごした。
 
 
8週の検診では心拍確認ができたら不妊治療のクリニックは卒業となる。
不安で仕方なかったが、それまでの間、
下腹部痛や不正出血などの流産の兆候は現れなかった。
 
八割型流産すると思います、と言われたので覚悟してたつもりだったけど、
悪阻がはじまり、すこし悪阻が良くなると赤ちゃんが死んだのではないかと怖かった
悪阻が赤ちゃんの発育とか生死に関係ないことはわかっていたけど
ホルモンバランスが崩れ、精神的に不安定にもなり、心身ともにボロボロになっていた。
夫とも距離を取りたいぐらいには気持ちは追い詰められていた。
気持ち悪さと戦いつつ、何を食べたいのかと何を食べたらいいのかも分からず、
泣いてパニック状態になる日もあった。
流産に常に怯えてたし、この小さな受精卵が無事に細胞分裂して胎児になってくれることを祈った。
不安で生きてることを確認するために7週のころに町の産科に駆け込んだ。
 
 
「あかちゃん、元気ですよ。心拍もしっかりしてますよ!
大きさも週数相当です。不妊治療のクリニックを卒業したらまた来てください。」
初めて赤ちゃんの心拍を聞かせてもらった。
ちゃんと動いていた。
帰りは安心して一人で泣きながら歩いて帰った。
あんまりにも怪しいので親友に電話して慰めてもらった。
 
でも、安心したのは心拍が確認できたから。
サイズは相変わらず小さかった。
内臓を作っている妊娠初期はあまり個人差は出ないと
認識していた私は生きているが、なにかあるのではないかとずっと考えていた。
それは夫も同じように疑っていた。
私の不安や考えを聞いて私よりも冷静に考えていたようだった。
「障害や母胎のリスクがあるなら今回は諦めるべきだ」と考えていたらしく、
胎児ネームで呼ぶことは一切しなかった(と、あとから教えてもらった)。
 
 
8週の不妊治療のクリニックでは男性医師が見てくれた。
気がついたことは全て教えて下さい、とお願いした。
「心拍はしっかりしてる。成長もちゃんとしてる。
ただすごく小さい。とても稀。サイズだけが気になる」
出生前診断については前から調べていたので、それを受けるつもりだと伝えた。
「あなたの場合は、非常に有用だと思います。良いと思います。早い段階で。」と、
はっきり言われた。
あーこれは、染色体異常だと断言はしないが、
先生もなにかあるとほぼ確信してるんだろうな…というのが伝わってきた。
 
「ただ、陰性と出たらほぼ100%陰性です。
だからそれ以上の検査や不安は無用ですから。
陽性が出たときにまた考えればいいと思います。
今は何もしてあげられません。
赤ちゃんはここまで頑張ってるから、今回は卒業となります。」
 
会計のときに初めて「ご卒業おめでとうございます。」と言われた。
医師からは、おめでとうございますと、言われた記憶はなかった。