妊活から妊娠反応陽性、不妊治療クリニック卒業まで
私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
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二年半の妊活の結果、 体外受精3回目にしてやっと妊娠反応陽性となった。
高齢出産じゃないのかもしれない、よかった!サブ、頑張ろうね! と、ホッとした。
しかし6週の検診で胎芽のサイズが異様に小さいことを指摘された 。
女医さんがエコーを見ながら、「アレ…?ちょっと… 小さめですね」と不穏そうな様子だった。
でもまだ分からないし… と思いながら待合室でいろいろ調べてた。
診察室に呼ばれて、 女医さんには気がついたことは全て教えて下さい、
いいんですか? と言う感じだったけど、
看護師免許持ってると伝えたら、あぁ、 という感じだった。
「八割型流産すると思います。
心拍も微弱です。
それまでに生理が来るかもしれませんが、 そうしたら連絡をください。」
女医さんがすごく気まずそうに言った。
何もできない。
流産を止めることはできないことは分かってたけど、
子供の生命力に賭けてみようと、 ひとまず2週間後の検診に向けて過ごした。
8週の検診では心拍確認ができたら不妊治療のクリニックは卒業と なる。
不安で仕方なかったが、それまでの間、
八割型流産すると思います、 と言われたので覚悟してたつもりだったけど、
悪阻がはじまり、 すこし悪阻が良くなると赤ちゃんが死んだのではないかと怖かった 。
悪阻が赤ちゃんの発育とか生死に関係ないことはわかっていたけど
ホルモンバランスが崩れ、精神的に不安定にもなり、 心身ともにボロボロになっていた。
夫とも距離を取りたいぐらいには気持ちは追い詰められていた。
気持ち悪さと戦いつつ、 何を食べたいのかと何を食べたらいいのかも分からず、
不安で生きてることを確認するために7週のころに町の産科に駆け 込んだ。
「あかちゃん、元気ですよ。心拍もしっかりしてますよ!
初めて赤ちゃんの心拍を聞かせてもらった。
ちゃんと動いていた。
でも、安心したのは心拍が確認できたから。
内臓を作っている妊娠初期はあまり個人差は出ないと
認識していた私は生きているが、 なにかあるのではないかとずっと考えていた。
それは夫も同じように疑っていた。
「障害や母胎のリスクがあるなら今回は諦めるべきだ」 と考えていたらしく、
胎児ネームで呼ぶことは一切しなかった( と、あとから教えてもらった)。
8週の不妊治療のクリニックでは男性医師が見てくれた。
気がついたことは全て教えて下さい、とお願いした。
「心拍はしっかりしてる。成長もちゃんとしてる。
出生前診断については前から調べていたので、 それを受けるつもりだと伝えた。
「あなたの場合は、非常に有用だと思います。良いと思います。 早い段階で。」と、
はっきり言われた。
あーこれは、 染色体異常だと断言はしないが、
「ただ、陰性と出たらほぼ100%陰性です。
会計のときに初めて「ご卒業おめでとうございます。」 と言われた。
医師からは、おめでとうございますと、 言われた記憶はなかった。