sabu18’s blog

我が子を諦めて心の整理をするためのブログ

前処置

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。

ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。

 

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6/22に大親友のAちゃんから連絡が入った

「手術日ってだれか付き添ってくれるの?」と。

 

術後のお迎えを旦那さんにお願いしていたので

旦那さんが迎えに来てくれる予定だった。

前処置についてはあまり調べたくなくて調べていなかったので

前処置も手術前も一人で行くつもりだった。

ラミナリアを入れて子宮口を広げるということはわかっていたので

痛いだろうな、帰宅したら動けないだろうということぐらいしか頭になかった。

 

今思えば胎児ドッグで異常が見つかってから

精神状態もぶっ壊れていたので正しい判断が出来なかったのか、

全部自分でやろうと気丈に振舞おうとしていたんだと思う。

両日ともに付き添ってほしいと旦那さんにお願いしたらよかった。

仕事をしていない自分が旦那さんの仕事を休ませるわけにはいかない、

仕事を休むのが難しいだろうと

一人で大丈夫感を出してしまったのはまずかったと思う。

 

Aちゃんがすごい心配してくれて両日ともに付き添うよ!と

言ってくれたので甘えることにした。

結果、それが功を奏した。

 

2022/6/23 前処置の日

この日のことはあまり覚えてないことが多い。

 

10時ごろ、絨毛検査の迅速結果が出た。

18トリソミー陽性 確定だ。

性染色体も出ましたが聞きますか?と言われたので

教えてもらった。

 

男の子だった。

 

 

その電話を切った後は泣き喚いた。

私の息子をこの後手放す。お腹から出す処置をする。

どんな顔をしていたんだろうか。もしかしたら生きられたのかもしれない。

可愛いと思う。生んであげられるかもしれない。

私の息子、私の息子なのにと大声で叫んだ記憶はあるが

あとはもうあまり覚えてない。

後から思い出すと滑稽だったかもしれないけど

壁にすがって膝を打ち、お腹を抱えて、おいおい泣いてるのは異常事態だったような気もする。

某魔法使いの映画の4作目の最後のほうで息子の遺体が返ってきたとき

「私の息子だ!私の息子だ!!!」と父親が泣き喚ていたシーンと

ほとんど一緒だったように感じる。気持ちが痛いほどわかった気がした。

 

ひとしきり泣いて、喚いた後は予定通り病院に向かった。

私は一体何をしにどこに行くんだろう。と頭の中でぐるぐるしていた。

本当にいいのか…?と。

でもお腹の中で亡くなる可能性も生まれてすぐ亡くなる可能性も

無事に生まれても医療的ケアが必要であることもわかっていて

それらに私が耐えられる気もせず、こうするしかないと納得させるしかなかった。

事実そうだったと思う。

 

病院に行くと私以外誰もいなかった。

スタッフの方以外誰にも会わなかった。

助産師さんから薬のことや手術の説明を受けたとき、

とても泣いた。本当は元気な子だったら産みたかった。

エコーは見せてもらえなかった気がする。

ラミナリアはすごく痛くて、しばらく動けなかった。

Aちゃんがすっ飛んで来てくれたけど、

私は歩くのもままならなかった。

「皆さん…歩いて帰っているんですか」と聞くと

「そうですね。歩いて帰ってますよ。痛みは少しずつマシになると思います」と

看護師さんに言われた。

 

正直、無理だろこれと思った。

証拠に帰宅途中、3回ほど痛みで吐いた気がする。

私の手をAちゃんがずっと握っていたが、

気が付いたら彼女の手が白んでいて、私の手の跡がついていた。

すごく痛くて痛みを逃したくて彼女の手をずっと握っていた。

スマホをいじる余裕もなくなり、Aちゃんに妹の連絡先を伝えた。

新生児のお世話で手がいっぱいで、時差があるはずの妹がAちゃんとうまく連携してくれたおかげで他の家族に連絡をつけることができた。

途中から従妹のKちゃんが駆けつけてくれて両脇から支えられていた。

痛みであまり覚えていないが、冷や汗もひどかったと思う。

道を歩いている最中にわざわざ車を横付けして

「急病人ですか?!」と聞いてくれたお兄さん。

ありがとうございました。

 

実家のほうが病院から近く、そちらへ一度帰宅。

実家についてからホッとしたのか、

過呼吸気味になり何か泣き喚ていた。全然覚えてない。

覚えているのはAちゃんがずっと私の手を握っていたことと

Kちゃんがしっかり私を抱きしめてくれて、泣いてくれていたこと。

Kちゃんが私のためにスイカを切ってくれたのに

半分を私の弟に食べられたこと。

悪阻で気持ち悪かったのかスイカを食べたら気持ち悪さが軽減された。

 

それでもラミナリアが痛すぎて気持ち悪いし、居心地も悪い。

痛みから解放されたいがそれは我が子を亡くすことにもなるのでとても複雑だった。

Aちゃんが旦那さんに連絡をしてくれ仕事終わりに旦那さんがすっ飛んで来てくれた。

まさかこんなことになっているとは…という感じだった。

 

夕方ごろに母親と母のパートナーが帰国。

帰宅した母は、痛みに唸り、気持ち悪くてビニール袋に頭を突っ込んでいる娘に

オムライスを作ってくれと頼まれて、すぐ作り始めてくれた。

 

不思議なことにオムライスを食べたら気持ち悪いのが消えた。

母のオムライスは世界一美味しい。お腹に我が子が居るうちに食べたかった。

これがばぁばの世界一おいしいオムライスだよって教えたかった。

 

その日は実家に泊まることにした。

Aちゃんは夜まで一緒にいてくれた。

ドイツで妹夫婦と新生児のお世話をして疲れているはずなのに母たちは私を心配してくれた。

赤ちゃんを抱っこすることができないはずの母のパートナーが寝入り際に寝室に来てくれた。

妹の赤ちゃんで抱っこを習得したらしい。

「寝てる赤ちゃんを抱きあげてちゃんと抱っこできるようになったから、また戻っておいで」とサブに言ってくれた。

すごくうれしかった。

 

その日は母と一緒に寝た。

サブをばぁばと一緒に寝かせたかった。

 

この日、私もサブもいろんな人に愛されてるんだなと強く感じた。