手術当日
2022/6/24 手術当日
ラミナリアが痛すぎて電車で行けず
夫と母に付き添ってもらい、病院へ行った。
もう子供がいなくなると思うとつらかった。
半日入院となるため個室の病室へ案内された。
点滴をされ、術衣になりオペ室へ。
もう全然覚えてないけどたくさん泣いた。
本当は生みたかった。もっと育てたかった。
だけど…今は生きているのにとか。
泣いたまま内診台に乗った。
痛み止めを入れますね、喉の奥少し苦くなりますよ~と言われた。
時計が見えていてギリギリまで見てやろうと思った。
最後に見た景色は13時15分を示す時計。
気付いた時にはすべてが終わっていた。
病棟のベッドに横になっていた。
最後のエコー写真を看護師から受け取った。
可愛かった。自分の枕の横にエコー写真を置いた。
生児で私の顔の横にいてほしかった。
それから看護師に死産届について説明された。近くで待機していた夫を呼んだ。
夫と母が火葬場を探し、予約していてくれていたそうだった。
夫が死産届を受けとり、役所へいき火葬許可証をもらってきてくれた。
夫は「受付で新生児や赤ちゃんを抱っこしているお母さんだらけだった。
お腹の大きい人もたくさんいて、自分はなんでここで死産届もらってるんだろうって虚しくなった」と言っていた。
その日はそのあとどうしたのか…
もう覚えていない。
ばらばらになった胎児を受け取って車に乗って実家に帰ったのか
自宅に帰ったのかも、覚えてない。
ちらりとみた死産届の娩出時間が13時22分で意識を手放した七分後にお腹の子は出されたんだなと思った。
「火葬明日になったよ」と言われた。
明日火葬なのか…
家に帰ってから夫が段ボールで小さな棺を作った。
「寄せ書きしてもらおうか」と提案された。
小さな棺には、誕生を心待ちにしていた人たちからメッセージをもらうことにした。