sabu18’s blog

我が子を諦めて心の整理をするためのブログ

手術後から今日まで

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
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毎日泣いて過ごして、目が腫れているのかもうよくわからなくなっている。

全身麻酔以降のことはあまり覚えていない。

妹と毎日LINEしてるからそれを辿ればいろいろ分かるんだろうけど見返す元気もなく。

毎日心配して新生児のお世話があるのに連絡してくれてること。本当にありがたい。

母親に妹を生んでくれてありがとうって言っちゃったぐらい。

 

術後から今日まで関連性のないことや、順番がバラバラなことが浮かんでは消えての繰り返し。

今日が何日で何曜日なのか時間の経過も知りたくない。

毎日意識があることが苦痛。生理が来るまでスキップしてほしい。

継続して物事が今は考えられない状態になっている。

なので今回の記事もいろいろとばらばら。

 

++

 

今はサブを手元供養をしているが、私のほうの家の墓に一旦納骨することで話がまとまった。

旦那さんのほうのお墓にはまだ誰もいないのでサブがさみしがるのではないかと思って。

また然るべき時にサブの居場所を決めないとね。

 

++

 

もう妊婦じゃない、お腹に子供がいない。

毎日子供が大きくなることが幸せだった。

毎週月曜日になったら週数が重なって予定日が近づいてるのが楽しみだった。

12週を超えてくれて嬉しかった。

だけど…

 

もうずっと同じことで泣いてる。

あんなに一気飲みしていたオロナミンCは半分が限界。

炭酸強くない?旦那さんに半分飲んでもらった。サブが好きだったんだね。

気持ち悪さはない。

その代わり子宮収縮薬を飲んでいるせいか、下腹部がキュッとする。

サブが大きくした分、元に戻ろうとしているんだな。

出血はないが、内膜のようなものが少量付着しているときがあるのでサブが居た証拠がまだあるのがうれしい。

昨日、絨毛検査で穿刺されたあとを見つけた。まだ日が経ってないんだと思った。

 

++

 

近所の人と仲が良く、妊娠していることは話していた。

いろいろと食べれそうなものや、飲めそうなものを差し入れてくれたり、

体調をいつも気にかけてくれていた。

必要なものも買いに行くよ!と買い物に行ってくれた時もあった。心強かった。

術後外に出たとき、顔を合わせたので体調どう?と聞かれた。

「死産しました。毎日辛いけど、泣き出すと旦那さんが飛んで来てくれるの」と伝えたら

「めっちゃいいパパじゃん!!」と。

旦那さんのことをパパと呼んでくれた近所の皆さんに感謝。

サブは居なかったことにはなってない。私はママだし、旦那さんはパパだ。

話していてよかったなって、すごく思った。

 

++

 

私が骨壺をどこへでも連れて行きたくなると母に話したら

「ママもよーちゃんを連れて回りたい、心配なの」と言われた。

それから仕事終わりに私の顔を見に来てくれている。

母親ってやっぱそういうものなのかな。本当にありがたい。

 

++

悪阻とコロナのダブルパンチでずっと籠っていた部屋で一人で居られなくなった。

ご飯は美味しく食べられているし、ずっと泣いているわけでもない。

旦那さんが私の様子を見て、笑顔にしてくれようと、元気にしてくれようとしている。

泣いているときは背中をさすってくれる。

一人で寝ようとチャレンジするも泣いてしまって眠れない。

旦那さんがいないと安心して眠れない。

でも、旦那さんが居ればぐっすり眠れる。

 

今日は細身の男の子に帽子を渡して「暑いから気を付けるんだよ!」って遊びに行くのを見送った夢を見た。

夢の内容を覚えてることすごく少ないんだけど、そうかサブはとりあえず私の元から離れたのか。元気そうに走っていったなぁ。って起きて思った。

そういけば体型が旦那さんそっくりだったわ。何も言わず、走って行ってたわ。

 

うん、次の妊娠に向けて心身の調子を整えて、また治療費を稼がないと。

生理が待ち遠しい。妊娠できる体に戻ってほしい。

サブが帰ってくる場所を整えないとな。

火葬の日

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
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2022/6/24 火葬

胎児は骨が残らないと思っていた。

だけど午前中、まだ炉が熱くないうちに火葬をしていただいた。

寄せ書きは読まなかった。

それはサブと書いてくれた人の関係性だから。

たとえ親でも、その関係性はサブとその人だけのものだと思った。

 

だいたい40分ぐらい経ったころ、スタッフに呼ばれた。

終わりましたと。

両あごの骨、肩甲骨、腕、足の小さな小さなお骨が残った。

優しくはいてもらって、小さな骨壺へ入れてもらった。

すごい早いお別れだった。

来てくれた皆さんにお菓子用意しておけばよかったな…

火葬はお金が結構かかった。六万ぐらいか。

葬儀屋にはお願いしなかった。

 

一緒に来てくれた皆さんには感謝している。

前処置に付き合ってくれたAちゃんも来てくれていた。

その後、大親友のAちゃんのお姉ちゃんと姪っ子に会いに行った。

ほとんど家族同然で、すごく心配してくれていた。

我が子を連れていき、いろいろお話させていただいた。

夫も一緒についてきてくれて、いろんなことを感じていたらしい。

 

そのあとは骨壺を持って、夫と付き合っていたころ同棲していた町を散歩した。

散歩して、ご飯を食べて、帰宅した。

手術当日

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
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2022/6/24 手術当日

ラミナリアが痛すぎて電車で行けず

夫と母に付き添ってもらい、病院へ行った。

 

もう子供がいなくなると思うとつらかった。

半日入院となるため個室の病室へ案内された。

点滴をされ、術衣になりオペ室へ。

もう全然覚えてないけどたくさん泣いた。

本当は生みたかった。もっと育てたかった。

だけど…今は生きているのにとか。

泣いたまま内診台に乗った。

痛み止めを入れますね、喉の奥少し苦くなりますよ~と言われた。

時計が見えていてギリギリまで見てやろうと思った。

最後に見た景色は13時15分を示す時計。

 

気付いた時にはすべてが終わっていた。

病棟のベッドに横になっていた。

最後のエコー写真を看護師から受け取った。

可愛かった。自分の枕の横にエコー写真を置いた。

生児で私の顔の横にいてほしかった。

 

それから看護師に死産届について説明された。近くで待機していた夫を呼んだ。

夫と母が火葬場を探し、予約していてくれていたそうだった。

夫が死産届を受けとり、役所へいき火葬許可証をもらってきてくれた。

夫は「受付で新生児や赤ちゃんを抱っこしているお母さんだらけだった。

お腹の大きい人もたくさんいて、自分はなんでここで死産届もらってるんだろうって虚しくなった」と言っていた。

 

その日はそのあとどうしたのか…

もう覚えていない。

ばらばらになった胎児を受け取って車に乗って実家に帰ったのか

自宅に帰ったのかも、覚えてない。

ちらりとみた死産届の娩出時間が13時22分で意識を手放した七分後にお腹の子は出されたんだなと思った。

 

「火葬明日になったよ」と言われた。

明日火葬なのか…

家に帰ってから夫が段ボールで小さな棺を作った。

「寄せ書きしてもらおうか」と提案された。

小さな棺には、誕生を心待ちにしていた人たちからメッセージをもらうことにした。

前処置

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。

ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。

 

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6/22に大親友のAちゃんから連絡が入った

「手術日ってだれか付き添ってくれるの?」と。

 

術後のお迎えを旦那さんにお願いしていたので

旦那さんが迎えに来てくれる予定だった。

前処置についてはあまり調べたくなくて調べていなかったので

前処置も手術前も一人で行くつもりだった。

ラミナリアを入れて子宮口を広げるということはわかっていたので

痛いだろうな、帰宅したら動けないだろうということぐらいしか頭になかった。

 

今思えば胎児ドッグで異常が見つかってから

精神状態もぶっ壊れていたので正しい判断が出来なかったのか、

全部自分でやろうと気丈に振舞おうとしていたんだと思う。

両日ともに付き添ってほしいと旦那さんにお願いしたらよかった。

仕事をしていない自分が旦那さんの仕事を休ませるわけにはいかない、

仕事を休むのが難しいだろうと

一人で大丈夫感を出してしまったのはまずかったと思う。

 

Aちゃんがすごい心配してくれて両日ともに付き添うよ!と

言ってくれたので甘えることにした。

結果、それが功を奏した。

 

2022/6/23 前処置の日

この日のことはあまり覚えてないことが多い。

 

10時ごろ、絨毛検査の迅速結果が出た。

18トリソミー陽性 確定だ。

性染色体も出ましたが聞きますか?と言われたので

教えてもらった。

 

男の子だった。

 

 

その電話を切った後は泣き喚いた。

私の息子をこの後手放す。お腹から出す処置をする。

どんな顔をしていたんだろうか。もしかしたら生きられたのかもしれない。

可愛いと思う。生んであげられるかもしれない。

私の息子、私の息子なのにと大声で叫んだ記憶はあるが

あとはもうあまり覚えてない。

後から思い出すと滑稽だったかもしれないけど

壁にすがって膝を打ち、お腹を抱えて、おいおい泣いてるのは異常事態だったような気もする。

某魔法使いの映画の4作目の最後のほうで息子の遺体が返ってきたとき

「私の息子だ!私の息子だ!!!」と父親が泣き喚ていたシーンと

ほとんど一緒だったように感じる。気持ちが痛いほどわかった気がした。

 

ひとしきり泣いて、喚いた後は予定通り病院に向かった。

私は一体何をしにどこに行くんだろう。と頭の中でぐるぐるしていた。

本当にいいのか…?と。

でもお腹の中で亡くなる可能性も生まれてすぐ亡くなる可能性も

無事に生まれても医療的ケアが必要であることもわかっていて

それらに私が耐えられる気もせず、こうするしかないと納得させるしかなかった。

事実そうだったと思う。

 

病院に行くと私以外誰もいなかった。

スタッフの方以外誰にも会わなかった。

助産師さんから薬のことや手術の説明を受けたとき、

とても泣いた。本当は元気な子だったら産みたかった。

エコーは見せてもらえなかった気がする。

ラミナリアはすごく痛くて、しばらく動けなかった。

Aちゃんがすっ飛んで来てくれたけど、

私は歩くのもままならなかった。

「皆さん…歩いて帰っているんですか」と聞くと

「そうですね。歩いて帰ってますよ。痛みは少しずつマシになると思います」と

看護師さんに言われた。

 

正直、無理だろこれと思った。

証拠に帰宅途中、3回ほど痛みで吐いた気がする。

私の手をAちゃんがずっと握っていたが、

気が付いたら彼女の手が白んでいて、私の手の跡がついていた。

すごく痛くて痛みを逃したくて彼女の手をずっと握っていた。

スマホをいじる余裕もなくなり、Aちゃんに妹の連絡先を伝えた。

新生児のお世話で手がいっぱいで、時差があるはずの妹がAちゃんとうまく連携してくれたおかげで他の家族に連絡をつけることができた。

途中から従妹のKちゃんが駆けつけてくれて両脇から支えられていた。

痛みであまり覚えていないが、冷や汗もひどかったと思う。

道を歩いている最中にわざわざ車を横付けして

「急病人ですか?!」と聞いてくれたお兄さん。

ありがとうございました。

 

実家のほうが病院から近く、そちらへ一度帰宅。

実家についてからホッとしたのか、

過呼吸気味になり何か泣き喚ていた。全然覚えてない。

覚えているのはAちゃんがずっと私の手を握っていたことと

Kちゃんがしっかり私を抱きしめてくれて、泣いてくれていたこと。

Kちゃんが私のためにスイカを切ってくれたのに

半分を私の弟に食べられたこと。

悪阻で気持ち悪かったのかスイカを食べたら気持ち悪さが軽減された。

 

それでもラミナリアが痛すぎて気持ち悪いし、居心地も悪い。

痛みから解放されたいがそれは我が子を亡くすことにもなるのでとても複雑だった。

Aちゃんが旦那さんに連絡をしてくれ仕事終わりに旦那さんがすっ飛んで来てくれた。

まさかこんなことになっているとは…という感じだった。

 

夕方ごろに母親と母のパートナーが帰国。

帰宅した母は、痛みに唸り、気持ち悪くてビニール袋に頭を突っ込んでいる娘に

オムライスを作ってくれと頼まれて、すぐ作り始めてくれた。

 

不思議なことにオムライスを食べたら気持ち悪いのが消えた。

母のオムライスは世界一美味しい。お腹に我が子が居るうちに食べたかった。

これがばぁばの世界一おいしいオムライスだよって教えたかった。

 

その日は実家に泊まることにした。

Aちゃんは夜まで一緒にいてくれた。

ドイツで妹夫婦と新生児のお世話をして疲れているはずなのに母たちは私を心配してくれた。

赤ちゃんを抱っこすることができないはずの母のパートナーが寝入り際に寝室に来てくれた。

妹の赤ちゃんで抱っこを習得したらしい。

「寝てる赤ちゃんを抱きあげてちゃんと抱っこできるようになったから、また戻っておいで」とサブに言ってくれた。

すごくうれしかった。

 

その日は母と一緒に寝た。

サブをばぁばと一緒に寝かせたかった。

 

この日、私もサブもいろんな人に愛されてるんだなと強く感じた。

最後の親子の日

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
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2022/6/22
何もない日だった。
サブと一緒にいられる穏やかな最後の一日だった。
でも悪阻もあり、何かするとか出かけるとかは出来なかった。
 
生まれても経口摂取できないかもしれないしと思い
桃とかパピコとか私の好きなものを食べた。
サブに食べさせたかったもの。
悪阻中はスイカ、リンゴ、ミニトマト
炭酸のラムネ、オロナミンC、牛乳で割ったコーヒーが
めちゃくちゃ美味しくて、ずっと食べていた。
 
もしかしたらサブの生きている音がするかもしれないと
聴診器をお腹にあててみたけど、私の腸蠕動音がしっかり聞こえて終わった。
よく便秘になるって言われてたけど、どうだったかな…
 
夜になって悪阻が落ち着いたので私とサブの二人で
家の周りの散歩に出かけた。
幸いだ誰もいなかったのでお腹に話しかけつつ歩いた。
生まれたら一緒に歩きたかった道。
最近きれいになった道。砂利道。
でも今のサブが生まれても歩けるのか…。
旦那さんが悩んだときに座るベンチにも座った。
目の前に川があり、もう今私も一緒にお空に行ったろうかとも思った。
川が汚すぎてやめた。
 
いつもなら22時には床に就くのに夜中になっても寝たくなかった。
サブとの時間が終わるのが嫌だったので。
旦那さんとは寝室が別だったが、親子三人で寝たいと久しぶりに一緒に寝た。

中期中絶手術の説明を受ける

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
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2022/6/21 午後
紹介された手術をしてくれる病院に行った。
妊婦検診2回目をしてくれた。
内心で先生が気まずそうに
「…エコー、見ますか?」と聞いてくれた。
「見ます、見せてください」とお願いした。
う~ん かわいい。
写真も要りますかと聞かれたが、要りますと答えた。
かわいい我が子の写真要らないわけなくない???
 
採血などもして、手術の説明を受けた。
二日後に前処置をして子宮口を広げます。
三日後の昼に手術をします。
あかちゃんの原型はありませんがいいですか。
と説明を受けた。ちょっと何言われてるのか全然わからなかった。
実習受けてるのかなぐらいの気持ち。自分に言われてることには感じられず。
でも涙がすごい出てきていた。おろしたくない、手術受けたくない。
お腹の中でぷかぷか気持ちよく浮いてるならギリギリまで居させてあげたい。
私の負担はいいから…という気持ちだった。
手術費用は約67万を最後に提示された。それだけちょっと怒った。
最後に金額言うのかよ!高いと思ったけどもう何も考えられなかった。
 
ここからちょっと私は開き直ってきたと思う。
我が子に決断を下すので愛着がわかないようにとか考えてたから
かわいいとか、おろしたくないだとか、そういうことは口に出せなかった。
旦那さんは愛情深く私を一番に考えてくれている人だけど
ときどき愛情表現が不器用だったり、
何事にも超効率的な男(そこが私のないところで助かっている)。
愛情表現が大盛な私と超クールな夫で、どっちが悪いとかはなく
私が愛情表現されたいこともあり、もっと愛情表現してくれよ!!!と
私が喚くことも多かった。ほんと半年に一回は言ってる気がする。
(ちゃんと応えてくれます。大変だね)
そんな旦那さんのスタンスは
「子供に愛着が湧いたらよーが辛いと思うから全部早いほうがいい。
 小さいとか流産するかもと言われていた時から
 正直難しいのではないかと思っていた。
 愛着を持ちたくないから俺はサブと呼んだことは一度もない。
 そんなに悪阻がつらいなら、できるだけ早く出て行ってもらったほうがいい。
 嫁が泣いていたり苦しんでいる姿はつらい。
 俺ははっきり言って子供より嫁が大事。」と言っていた(要約です)。
そんな旦那さんに子供への愛情を言える精神状況でもなく
私が冷静を装って「子供を今回は諦める」と連絡した時も
「俺は今回のことは迷惑としか思ってない」という反応で心がすごい傷ついた。
今思えば、これから心身のダメージを受ける私や経済的負担を
考えて冷静に返したんだろうけど
そういうことも手伝って、子供がかわいいと大手を振って愛情を表に出せなかった。
(私が仕事もやめてしまったので経済的負担は一気に旦那さんへ行ってしまった)
 
でも、もう今お腹の中にいる我が子は
かわいいのはかわいいし
できれば生みたかったし
愛してるし大事だし
ここまで育ててきたんだし
可愛いって言って何が悪いんだ??????
あと三日しか一緒にいられないんだぞ???
サブがかわいいのは、私がお母さんなのも変わらないぞ?????
と考えるようになって母や妹に、本心を喚き散らした。
 
ドイツで出産したばかりの妹のケアに行っていた母には
私はドイツでの生活を楽しんでほしくて、あまり話していなかった。
母や妹は「お姉ちゃんが可愛いって言わないから言えなかったけど
みんなサブをかわいいと思ってるよ!だからこそもうこの決断しか…」
と泣いてくれた。
あとあと妹から聞いたが、私の母は
「サブへの愛情や思い出は増えるけど絶対に減らないから
 辛いと思うけど一日も早い処置をしてもらったほうがいいって思ってる」
と私のことをすごく慮っていた。
私の気持ちを推察して、なんて連絡したいいのかと思っていたみたいだった。
母が帰国するのは6/23。
つまり前処置の日。
早く私のところへ行きたいとずっと言っていたそうだった。
自分が妊娠して、母が子を思う気持ちが痛いほど分かった。
妹も母となり、私に寄り添ってくれた。本当にありがたかった。

絨毛検査

私の場合の話なので、ひとつのケースだと思ってください。
ただの心の整理の話なので、記憶違いがある場合があります。
 
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2022/6/21
絨毛検査を受けた。とても上手な先生だったようですごい痛かったけど
最小限の苦痛でやってもらったと思う。
胎盤を探しているエコーで赤ちゃんも映っていた。
めっちゃ動くじゃん。可愛すぎる。え~かわいい。と思っていた。
検査のあと一時間仰向けになりながら泣いていた。
穿刺後、出血など異常の有無を確認する際に
エコーで生きている赤ちゃんの動画を撮らせてもらった。
多分今日が最後になると思ったから。
一分近く元気に動いている動画を撮らせてもらった。
「うん、肝臓も、手も変わらないね…これが心臓の音だよ」
と優しく教えてもらった。
もうかわいくて愛おしくて堪らなかった。元気じゃん。
どうした?しっかり生きてんじゃん。これ最後かもしれないの?
頭おかしくなるか。この子を諦めるのかよ。
 
「二日後に迅速法の結果が出ます。
 それから今の週数なら母体の負担が少ない手術が受けられますから
 諦めるなら早いほうがいいと思います。
 このままその病院に行かれますか?手術をする病院は決まっていますか?」
 
と医師から聞かれたけど、中絶手術をしてくれる病院なんて調べてない
調べられていない
「ここで出来ませんか?」と聞くも
「ここだとお産みたいになるから母体の負担が大きくなる。
 でもこの病院なら負担の少ない手術をしてくれます。紹介できますが」
ということで紹介してもらった。
もう辛くて何も考えられなかった。
今思い出すのも正直辛い。きつい。
 
午後、紹介された手術をしてくれる病院に行った。